【採択助成事業】
「佐賀災害基金」-2021年度-第3期
「佐賀災害基金」-2021年度-第2期 3回
「佐賀型CSO持続支援金」-2020年度-第3期
「佐賀災害基金」-2019年度-第1期
「さがつく協働基金」2014年度/2015年度-2回
「きょうぎん未来基金」-2014年度-第3期
「つなぎレンガ座」は小城市牛津にある赤れんが館を中心に市内の文化や芸術などを通した市民同士の繋がりづくりをしています。また、有事の際には佐賀災害支援プラットフォームの賛同団体として行政の手が届かない支援を行い、災害のコーディネーターとして住民に寄り添ってきました。
今回は、代表の中島正人さんや理事の皆さん(泉万里江さん、宮近由紀子さん、西岡明樂さん)に具体的な活動について話を聞きました。
◇ 東日本大震災をきっかけに集まった思い ”できる人ができることを”
2011年3月に起こった東日本大震災。九州から距離はあれど何かできないかと感じていたといいます。それを機に団体を立ち上げ、県域での「佐賀から元気を送ろうキャンペーン」という取り組みに参画しました。
音楽や芸術を得意とする人が多かったことから、チャリティーイベントとしてコンサートや展示会などを行い、そこで集まった資金を被災地で復旧活動をする現地スタッフへの支援金として送る「だいでんいっしょプロジェクト」にも加わりました。
また、2016年には熊本地震が発生したことにより、牛津にある赤れんが館を物資の拠点に。有事をきっかけに集まった”できる人ができることをしよう”という思いは、地域の日常にも少しづつ広がりを見せ、閉園するこども園のお別れ会や、地域に住む家族の写真展などのイベントに派生していきました。
「まるで百貨店のように得意分野を持つ人が集まることで良いことが生まれるのではないかと思っています」と当時を振り返りながら中島さんは話します。
◇ 被災当事者として現場の支援を続けたから見えたこと
2019年には小城市の広範囲が浸水被害や土砂災害に遭いました。
災害ボランティアセンターでは社会福祉協議会を中心に住民の被害状況を聞きながら対処をしますが、一般のボランティアでは対応ができないケースも。
重機や機材などを用いる県外の民間団体との間に調整をする役割がいなかったことから、泉さん、宮近さんはコーディネーターとして動き、雨や台風による2次被害を避けるためボランティアとして民家に入り一緒に整備を手伝うなどを行いました。
当時、このような連携を直ぐに作れたことは非常に珍しく”小城モデル”として今後の災害支援を検討する上でも参考にされているほどだといいます。
「崩れた土砂による更なる被害を避けるために多くのボランティアが作業していた様子を見ていた4歳の男の子が ”将来、災害のボランティアになりたい” と言ってくれて。とても嬉しかったことを覚えています。」とエピソードを教えて下さいました。
◇ 「もしも」に備え自分を”主語”にして考える人を育て、広げていきたい
さまざまな経験を重ねながら活動を続けてきた、つなぎレンガ座。自分たちが感じているこれからの課題とはどのようなものなのでしょうか。
どのような社会の課題にも共通して言われる”自分ごと化”が防災の面でもまだ進んでいないと指摘する理事の皆さん。
「もし家が水で浸ったらどうなるんだろう、とリスクを考えることを多くの人に浸透させる必要があります。」と話します。
有事の際に困ることは、子どもが遊べなくなったり、料理をして食事することができなくなったり等日常では当たり前にできていたことなのだそう。
一方で、だからこそ誰でもできることがあるため、自分には何ができるのかを考えておくことが大切だといいます。
また、専門的な知識を持つ人を育てることが災害時の即戦力に繋がります。
災害時には体力的に疲弊して精神的にも辛くなった瞬間があったそう。
そのような経験をしたからこそ大事にしていきたいことが分かってきたといいます。
「やっぱり有事の時には余裕がなくなってギスギスしてしまうこともあったんです。でも、お互いを責めたりするのではなくてリスペクトする気持ちで常に在りたいです。先ずは自分が前向きに笑顔でいられることが、結果的に相手をも笑顔にすることが今では身をもって分かります。」と泉さん、宮近さんは優しく伝えます。
私たちは身近にいる目の前の人との繋がりを大切にできていますか。
何があってもお互いに支え合える関係性でいたいということを、つなぎレンガ座の皆さんから教えてもらった気がします。