佐賀はクリークのまち。この干拓地では古くから治水、利水が考えられ機能してきました。 さがクリークネット(佐賀市)は、街なかに張り巡らされたクリークの活用と保全に取り組まれています。代表の川﨑さんからお話を伺いました。

 「もっとクリークを使おう!」

藩政時代に原形がつくられたという佐賀城下のクリーク網。以来、まちを守り、人々の暮らしを支えてきました。「昔は物資の運搬や子どもたちの遊び場として使われ、クリークは生活の一部でした」と川﨑さん。
旧佐賀市内におけるクリークの総延長は2,000kmにおよぶそうです。その存在は広く知られていて、まちづくりに活かそうという声もありましたが、うまく実現していませんでした。そんな中、『佐賀の風景シンポジウム』(2014年)が開催され、クリークの利活用を志すメンバーが集結。そうして川﨑さんたちは、後のさがクリークネットへと繋がる活動を始めることになります。
佐賀と同じようにクリークを有する福岡県柳川市では、川下りをはじめクリークを観光資源として活用されています。川﨑さんたちも「舟を出してみよう」となり、カヤック体験を実施。ワークショップで船着き場づくりをするなど、この地域でしかできない取り組みがスタートしていきます。「自然の風景がそのまま残っていて、水質もきれいで。新たな発見でした」と、川﨑さんは当時の様子を教えてくれました。その後、クリークに川床を出現させた『川床クリークBar』やクリークマルシェ、海洋プラスチック問題の講座と合わせた水路ウォークの実施など、川﨑さんたちは人々とクリークを結んでいきます。2018年の『肥前さが幕末維新博覧会』では、パビリオンのオランダハウスでクリーク体験プログラムを提供。
期間中は200名以上の方がカヤックや和舟を体験したそうです。

「まちの風景が変わっても、骨格であるクリークは変わりません」

川﨑さんに古い佐賀城下の地図を見せてもらうと、すべての住居がクリークに接していたことがわかります。「背割(せわり)水路と呼ばれ、隣接する建物の背中同士の間に設けられたのがクリークです」と教えていただきました。もし、この地図が現代に再現されていたら、どんな景色になっていたでしょうか。
都市計画を学び、上京を経て故郷の佐賀へUターンしてきた川﨑さん。そのキャリアの中で、佐賀の持つ豊かさに気づいた川﨑さんは「佐賀が好きです。佐賀の人はあたたかい。みんなの居心地をよくしたい」と、そんな思いからまちづくりと向き合っています。
「私たちにとってクリークは元からあるもので空気のようなもの。活用や保全をしていくには人々の普段使いが欠かせません。でないと、見向きされなくなってしまう」と、地域に暮らす方とクリークが日常的に関わる重要性を教えてくれました。
さがクリークネットの活動は話題と繋がりを呼び、今一度クリークと向き合う人々を生み出すことに。日常に確かにあるもの、でも見えにくくて触れる機会のないもの。関わり方を知らなかった私たちに、さがクリークネットは多くのアプローチと未来へのポテンシャルを示してくれました。
2020年、 地域再生大賞の九州ブロック賞を受賞。

――――変化じゃない、元に戻すということ。

さがクリークネットがこうした活動を続けていくうちに、市民の方の意識は変わっていきました。クリークの利活用を実践したことで「クリークが使えるものなんだと、見てもらえることができた」と川﨑さん。
当初はクリークに対してネガティブな意見だった人も「最近はやらないの?」と言ってくるようになったのだとか。「ちゃんと取り組んだから、理解してもらえる。みんなしあわせになれる」と手応えを明かしてくれました。今後は防災を意識して、クリークの保全に力を入れたいそうです。
故郷を思い、まちをつくる川﨑さん。取材の最後にいただいた「まちの暮らしをいかに楽しむか。好きで住んでいるのだから」という言葉が、多くの方に届きますように。